末期癌と闘われる方々への
希望や勇気となりますように

難病末期癌からの生還~タイトル画像小

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闘病記ページ①

突然の末期癌・余命宣告

末期癌完治の奇跡区切り線
 
余命宣告の悪夢
まずは最初に、毎日平和に暮らしていた私たち家族が経験した父の末期癌(末期がん)との闘病について記していきます。「癌(がん)」という病気から非常に離れた世界で生きているつもりだったごくごく普通の私たち家族が、ある日突然暗黒の世界に突き落とされてしまった事から全てが始まります。

 
父64歳の10月末、午前中に父親は喉の不快感があるため大阪府高槻市にある耳鼻咽喉科の町医者へ行き診察を受けました。
 
父曰く春頃から自覚症状があり、喉の違和感を治すためにのど飴をよく口にしていました。秋になっても喉の違和感・不快感は良くなるどころか悪化するばかりで、いよいよバナナを食べても痛みを感じるようになり、食事が段々と喉を通り難くなり、飲み込むときに頭を傾けるまでになっていました。
 
そんな中、さすがに普通の状況ではないという事で近くの町医者に診てもらう事になりました。
 
その町医者では診察するなり「当医院では対処出来ないのですぐに大学病院(大阪医科大学付属病院)を紹介します」との事だったようです。
 
仕事中だった私に父から直接電話があり、夕方に大学病院へ行って専門医に診てもらう予定だと聞かされました。正直、私は嫌な予感がしてかなり動揺をしました。
 
しかし父が現役でサラリーマンをしていた時、仕事で忙しいと肩こりから歯痛を起こし、よく頬っぺたを腫らしていた事があったので、父は肩こりで腫れる体質なんだと思っていた事もあり、今回は腫れが喉に出来ただけなのではないかと楽観視する私もいました。
 
迫り来る嫌な現実から逃げたい思いからの何の根拠もない希望的推測だったのですが・・・。
 

大学病院イメージ
私は落ち着こうと思っても動揺してしまって落ち着けず、上司に相談をしてその日は仕事を早めに早退させてもらう事にしました。そして仕事帰りに病院へ立ち寄りました。

 
父と母に待合スペースで合流した時、何故か父は冗談を言い、表情も明るかったので、「ひょっとしたらやはり大したことないのかも知れない」と勝手に思っていました。しかしおそらく父は自分の危機的状況を感じた上で、家族に心配させないよう無理して冗談を言って「何でもない」と見せていたのだと今は思います。
 
私が立ち寄った時にはすでに専門医の診察を終えていて、父は「大きな見たこともない機械の検査もした」と言ってました。そして暫く待合スペースで待つように言われていたようです。
 
待合室イメージ
暫くして一人の看護婦さんが来られ、「お父さんは明日朝から色々とさらなる検査をしないといけないので、このまま入院手続きをして下さい」と言われて父は即入院となってしまいました。取り敢えずの手続きを済ませて、必要なものは明日以降に持って来ることにして、その日は父を病院に置いて、私と母は帰ることになりました。
 
帰宅して入院に必要なものを準備していると私の弟と妹も帰宅し、その日にあったことを報告していました。
 
すると電話が鳴り、父のいる大学病院から「本日行った精密検査の結果が出たので今からでも明日でも良いので早めに来て下さい」との連絡がありました。夜の20時頃です。思っていたより結果が出るのが早かったので、電話を受けた母は一瞬「あ、大したことなかったのかも」と思ったらしいのですが、電話の最後に病院スタッフは「お父さんとは病院内で遭遇しないように気をつけて、ご家族だけでなるべく早く主治医の診察室へお越し下さい」と言われたとの事で、やはりこれはかなり病状が悪いことは間違いないと私は直感しました。
 
居ても立っても居られないので、すぐさま私たち家族は全員、食事をすることなくクルマに乗り込み、大学病院へ急いで向かいました。大学病院まではクルマで15分くらいの距離です。車の中では家族全員が無言でした…。
 
父はタバコを吸いますし、基本的にジッとしていない性格なので、病室を出て喫煙所へ行っていたり、季節は秋で心地好い風に当たるために散歩でうろうろしている可能性があります。病院の駐車場は父の病棟のすぐ近くにあり、もしクルマをその病院駐車場へ停めて父に見つかるような事があってはいけないので、クルマは病院外の民間駐車場へ停めて歩いて病院へ入りました。病院には北出入門と南出入門があり、父の病棟は北出入門に近い病棟だったので、わざわざ南出入門へ回って主治医の診察室へ向かいました。広い病院の敷地ですから、さすがに父でも南側の建物までは歩いて来ないだろうとの判断でした。
 
診察室イメージ
主治医の診察室へ案内され入るとCTやMRIのフィルムが一面に貼られていて、素人が見ても大きな変なものが喉の部分にあると分かりました。思っていたよりもかなり深刻なんだろうなという事は、そのCTやMRIの画像を見ても明らかでしたし、遅れて入ってきた主治医の顔色を見てもかなり良くない状況だと感じました。

 
結果は予想通り最悪で「中咽頭癌末期+舌癌末期+リンパ節へ数カ所転移」との診断でした。
 
舌の奥側半分以上が癌であり、中咽頭部とリンパ節数カ所にも転移しているとの事で家族全員が言葉を失いました。かなり悪性の癌(10段階中、”10”又は”10に限りなく近い9”という、とても悪性)の様であり、進行度合いは4段階中”4”で、本当の「ステージ4」「末期」と言われました。喉に違和感を感じながらも半年以上放置していたため、当然癌の大きさもかなり大きいものでした(別ページに末期がん宣告時のCT&MRI画像があります)。
 
主治医は「すでにリンパ節に転移が認められるので、ひょっとするともう全身に転移をはじめているかも知れない...残念ながら手遅れかも知れませんね」と淡々と説明をしました。淡々と説明しないと、主治医も辛いのかも知れないですね。
 
このまま治療をしなければ、一般的には余命は3か月以内との事でした。「半年生きれることは絶対にない」とも言われました。また、手術が可能で、手術が思うように成功したとしても、「舌と声を失う大きな後遺症」を抱えて、5年後の生存確率は統計上「数パーセントだね。いや、正確には限りなくゼロに近いと言った方が正しい…」と言われました。中咽頭部だけであれば手術をすれば5年生存率は他の臓器の癌と比べてそんなに低くはないと主治医は確か言っていましたが、父の場合は舌部も末期癌であり、リンパ節にも複数個所転移していて再発や転移の可能性も当然高くなるため、思った以上に非常に厳しい余命宣告でした。

家族はこの突然の出来事に、全員本当に慌ててしまうばかりでした。母や妹は主治医からの説明中、下を向いて言葉を失い、泣くことしか出来ませんでした。

 

末期癌からの生還~「TOPGUN Maverick ICEMAN」

映画「TOPGUN Maverick」にICEMAN役で出演した俳優「Val Kilmer」さんも2014年に咽頭がんと診断され、声を失っています。



 

末期癌を消滅させるにはどうすれば良いのか
医学素人の私たち家族には、どうすれば末期癌を治せるのかなんて全く何も分かりませんでした。主治医からの病状説明ですら100%理解することは出来ない状況でしたし。私たちは「癌は不治の病」という認識が強かったので、ここまで酷い末期癌と宣告された以上、「もう諦めるしかない」と思っていたのが正直なところでした。何も分からない、何も知らないという事が大きな不安を呼びました。
 
治療方針の説明では、聞き慣れない薬の名前や検査方法、検査機器名などがたくさん出てきて、ただただ圧倒され混乱して右往左往する感覚でした。私は「末期癌であるなら、さすがにもう諦めるしかないんだろうな」という絶望的な気持ちでいる中、主治医や看護婦さんは「今後の治療」について一生懸命お話をして下さっているギャップにハッとしました。「家族が早々に諦めてしまってどうするんだ!」「何も知らない、何も分からないではなく勉強しなければならないんだ!」「この先生にお任せをすれば何とか治して下さるのかも知れない」「まずはこの先生を信じて任せてみよう!」という気持ちに徐々になって行った自分がいたように思います。
 
その大学病院は、最新鋭の高額な検査機器や設備のある大きくてきれいな大学病院で、医療系ドラマの撮影にでも出てきそうな雰囲気の大病院でした。そこで働く医師や技師は最高の技術と知識を持っているはずだと信じるようになり、私は病院へ通うたびに医師や技師が神様に見えてきて、安心感や心の救いになっていました。根拠なんて何もありませんが家族全員「絶対にこの大学病院の先生は世界有数の名医のはずで、必ず父の末期癌を奇跡的に治して下さるはず!」とそう信じようとしていました。正しく神頼みな状況でしたから。
 
人間身勝手なもので、父には「奇跡は起きてもミスなど起きるはずがない」と根拠ない自信を持っていましたが、 でも「本当に全てを信じて、病院に丸投げで任せていて大丈夫なのか?医師も同じ人間なので、間違いもあればミスもあるはず・・・」という不安も確かにありました。末期癌はまだまだ人間には治せない不治の病であるのも確かですから、西洋医学によるガン治療がどれほど期待できるものかにも不安はありました。
 
ガン治療イメージ
父の妹と弟(叔母と叔父)はそれぞれその数年前に胃がんと肺がんになっており、その時も大きな病院で出来る限りの治療をしたようですが、見舞いへ行く度にやせ細って弱って行くのを見て、本当に「病院治療では癌は治らない」という強いイメージもありました。叔母も叔父も入院した時点でかなりの末期だったとの事でしたが、入院して治療しているにも関わらずどんどん悪くなって行き衰弱して行く姿を見ているのは本当に辛かったです。

 
その叔父は最期痛みの軽減のために医療用モルヒネを使用していましたが、幻想や幻覚を見るようで、私が見舞いに行ったときにベッドの上で一生懸命「糸」を巻いている動作をしていました。私の事はちゃんと認識してくれていて、私が病室に入ると「おぉ!いいところに来たな。おい、ぼーっと立ってないで、この部屋いっぱいの糸を一緒に早く巻いてくれ!」と言われました。勿論、幻想なので病室に多量の糸などないのですが。
 
その頃は本当に病院を信じて病院任せにするしか方法がなく、少しでも大きな病院、少しでも設備の整った病院、噂でも何でも名医だと呼ばれている先生がいる病院へ転院するくらいしか家族は出来なかったのだと思います。
 
そういう記憶もあり、あとで後悔しないためにはせめて「医師と対等に話しが出来るようになって、父の状況を正しくつかめるようにならないといけない!」と思うようになりました。父の状況がどうなっているのかをつかめなければ、家族としても正しい判断や対応が取れなくなりますから。病院を信じていたのに、あとで匙を投げられて裏切られるパターンはよくある話だと聞いていましたし・・・。
 
癌について調べる
そんな不安から私は、いろいろな書籍を図書館で借りてきたり購入したりして癌やガン治療に関するものを読み漁る毎日を始めることとなりました。

 
私なりに色々書籍を読んでは書いてあった情報をさらに調べて考える、そんな繰り返しの毎日でした。書籍でも、中には古い情報や間違った情報、著者の偏った情報などもあるので、自分なりに納得が出来る情報と正しいと思える情報だけを選び、自分だけの辞書になるよう書き留めたり重要なデータやグラフなどはコピーしてスクラップにしたりしました。気が付けば1週間ほどでB5大学ノート10冊程度にもなりました。
 
この勉強の時間が私にあった事が、後々色々な意味で正しい道へ進むきっかけとなったように思います。中でも、先進国である日本に住んでいて日本の医療は世界でも最先端だと信じて疑わなかった私でしたが、現実はその全くの逆で、日本の医療は欧米諸国の考え方から何十年も遅れているという事実は私の視野を大きく広げました。
 
「情報」は多ければ多いほど良いと思います。但し、その中から正しい情報のみを見抜いて、組み合わせる必要はあります。
 

 

末期癌克服には希望と勇気と正しい知識が必要
まず、末期癌患者自身は勿論、ご家族にも治るという「希望」がなければ、治るものも治らなくなってしまいます。父以外の私たち家族は、病状も余命も全てを告知されていたのでかなり絶望的になっていましたが、私の父だけは主治医から全ての告知をされていなかった事で、父は勝手に「治るという自信」を持っていました。父は町医者から大学病院へ行くように言われた時に、自分でおそらく末期癌で助からないのだと覚悟をしていたみたいですが、しかし「精密検査をしたその後、主治医は余命とか全く言わないし、危機的な病状だとの説明もないので大したことなかったんだ」みたいに思っていたようで、まさか自分が「余命宣告されている」とか「手術をした後は、声と舌を失う後遺症を抱える」「全ての治療が上手くいっても5年後はほぼ生きていない」とか、そういう現実には全く気づいていない様子でした。これは私が主治医に「自暴自棄になるので、父には絶対に全てを告知しないように」とお願いをしていたからです。

 
これが非常に良いように働き、父は治療が進むまでは大きなストレスを抱えることなく、「すぐに治ると希望を持てていた事」は本当にガン治療において非常に大切な要素なんだと後に思いました。癌と闘う場合は、是非とも「希望」を持てるようにしてあげて下さい。
 
私たち家族は余命も知っていて、大きな後遺症が残る手術がある事も分かっていたので、さすがに「簡単に治る希望」なんて正直なかなか持てませんでしたが、しかしその時はとにかく父のために「絶対に諦めない」という「覚悟」だけはしっかりと持っていました。
 
そして可能な限りさらに勉強をして「知識」を身に着ける努力は必要だと思いました。正しい知識があれば正しい判断が出来るようになりますから。正しい判断が出来るようになると、正しい情報に巡り合えるようにもなります。正しい情報がどれなのかを見極める力はとても大切です。ホームページひとつ、ブログひとつをとっても、正しい情報だけを記しているものもあれば、意図的に嘘が書かれていたり情報が歪められているものもあります。正しい情報と出会うことが出来れば、どの方向へ向かうべきなのかが自然と見えて来ると思います。その情報が納得出来る正しい情報であるなら、あとはその道を簡単には諦めずに突き進む「勇気」を持って下さい。
 
私たち家族はこの「希望」「諦めない勇気(覚悟)」「正しい情報」があったように思います。
 
そしてこれら「希望」「勇気」「情報」を駆使して、このあと父と私たち家族は憎き末期癌と真っ向から闘います!
 
(次ページ「②免疫力で末期癌と闘う!?免疫力を高めるサプリメントとは?」へ続きます)
 

難病末期癌からの生還区切り線