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良い水を摂取することの重要性

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良い水とは?

 
食品の六大栄養素に加えて、水は、七番目の栄養素と言ってもよいものです。これほど重要なものはありません。清里にある環境保全研究所の知花敏彦氏は、「人間は霊と水でできている」と言っています。人間の肉体は水そのものである言っているのです。
 
この水をおろそかにして健康を語ることは無理です。ご飯をたくにも、味噌汁をつくるにも、水なしでは不可能です。水の質の良し悪しは、すべての健康のベース中のベースなのです。
 
それでは、われわれが飲用や料理に使う水として、どのような水が良いのかを考えると、次のようになります。
 

  • 人体に有害な物質が検出でれない。トリハロメタン、塩素、TOX(はっきり認定されないハロゲン化合物)、悪しき菌やウイルスが検出されず、悪しき物質はかき消されていること。
  • すべてのミネラルが存在すること。微量のミネラルは、まず、水からとることができる。
  • 溶存酸素が多いこと。
  • pH(酸性度)が、中性の範囲で弱アルカリ性であること。水ほど中庸が必要な物質はない。アルカリ性でも酸性でも、良くない。
  • クラスター(分子の集合体)の大きさが小さいこと。つまり、エネルギーが高いこと。
  • 無臭で、無色透明であること。カビ臭かったり、カルキ臭かったり、どぶの臭いがあったりせず、無色透明でなくてはいけない。
  • 貯め水ではないこと。流れている水が良い。

 
 

 
よく「流れる水は腐らない。流れない水は腐る」と言います。これは、事実です。ペットボトルの水にカビがはえたなどという記事が出たことがありますが、これは、まさに流れない結果です。腐るというのは、酸素の抜けた状態です。
 
現在、何時間も貯めた水を還元したり、電子チャージしたりする装置が市販されていますが、これなども貯め水なので酸素が抜けていて失格です。また、湯冷ましも同様です。
 
人間にとって、最高に健康体を保つことのできる水は、どこにあるのでしょうか。それは、大気汚染のない、人気のない、車の通らない深山の湧き水にある、と言ってよいでしょう。
 
深山の湧き水の原水は、上のような条件を満たしているので、最高の水です。溶存酸素が多いということは、活性酸素に相対する概念のような気がします。酸素の豊富な水とは、好気性菌(善玉菌)にとってありがたい存在であり、嫌気性菌の繁殖が活性酸素を産むもとであることを考えると、酸素の必要性がうかがわれます。
 
こういった水に近くする装置を、活水器として、私たちは設置する必要があると思います。水道水に塩素が含まれるのは、赤痢やコレラなどの悪しき菌による汚染を予防するため、やむをえないからです。ただ、飲むときに塩素があっては困るのです。塩素はビタミンを破壊し、トリハロメタンをつくるからです。
 
我が家では100%残留塩素カットの活水器を利用しています。最近ではいろいろな浄水・活水器が出ていますので、性能や機能、予算を比較して、最適なものを選びましょう。安価な浄水器を購入するのなら、私は残留塩素の事を考えると市販のミネラル水(「クリスタルガイザー」「ペリエ(ミネラル炭酸水)」など)を購入する方が安全だと思います。
 
機能性を重視されるのであれば、最近流行りの水素水もお勧めですが、多種多様な製品があり、中には効果を過大に宣伝しているものや効果の見込めない製品も含まれていますから注意をして選択して下さい。
 
現在、私が癌患者さんにお薦めしたいお水は、ミトコンドリア活性を高める「ミトコンドリアパワー水」(アクアゼスト社)です。細胞から元気になるそうです。医学的な臨床試験なども行われている信頼のできるお水です。
 
 

 
ここでは医学博士・木崎国嘉先生による「水と健康の関係」を記します。昭和後期の記事のため内容は古いですが、参考になるところは現在も多くあります。
 
 

 
水は空気についで大切なもので、とくに日本人は故郷の水の味に限りない郷愁をもっていますが、あまり身近すぎてかえって関心がひかれないのか、水に関しての掘り下げた重要性が案外知られずにきました。
 
紀元前7世紀、ターレスは"水は万物の元"であると称しましたが、水(H2O)は水素二原子と酸素一原子の化合物で、純粋なものは無色、無臭、無味の透明液体ですが、実際上、純水というものは存在しません。
 
1894年にコールラウシュが石英蒸溜装置で28回も蒸溜をくりかえしたものがありますが、それでも含有物が含まれているのです。それほど水は物を溶かす性質があり、世界の河川が一日に溶かす物質量は27万トンといわれ、太古真水であった海水が塩水になったのも、長年のあいだに溶け込んだものが積り積ってのことで、何もサケが住んでいるからや、クジラが汐をふくからではありません。
 
"水に常形なし"とか"水は方円の器に従う"といわれるように、宮城道雄作曲の「水の変態」をまつまでもなく、水は変貌の著しいものの代表です。
 
水は零度で氷結し、熱して100度になりますと沸騰して、無色透明の水蒸気となります。
 
空中の水蒸気が凝結してできる水、すなわち雨、雲、霞、雪、あられ、靄、陽炎や草の葉におく露なども天水とよばれる、いわば天然蒸溜水で、やがて地に降り、地表を流れては地表水となり、また地下に浸み透って地下水になり、この間はいろいろのものを溶かしたり、混ぜ込んだりして、いろいろの水質を表わしますが、これらの水を総称して自然水と呼びます。
 
"滄浪の水澄まば以ってわが縷(冠の紐)を洗うべし、滄浪の水濁らば以てわが足を洗うべし" 屈原の言葉のとおり、水の性質によって用途も異るわけですが、健康によい水、沐浴によい水、洗濯によい水、醸造や、工業に適した水など、目的によって成分や条件も変ります。
 
 

 
人間は食物を摂らなくても、水さえ飲んでいればかなり長期間生き延びることができます。水もとらずに耐えた世界記録はインドのヨーガの18日です。もっとも愉快なユーモアもあります。
 
スウェーデンのスウェイン・ヘディンがシルクロード探険を終えて、歓迎会の席上、"私の一番苦労したのは、タクラマカン砂漠で、一週間、一滴の水も飲まなかったことでした" お客の一人の画家カルル・ラルソンは"なあーんだ、私はこの数年間、水なんて一滴も飲んでいないよ。スコール(乾杯)" この人は酒呑みだったのです。
 
冗談はさておき、実際上、食事をいっさいせず水だけで生きのびた世界記録はアメリカ、ロスアンジェルスのエリノア・ジョンソン夫人の117日のようです。
 
生物の主要構成成分は水で、人間も生れたての赤ん坊では全体重の71%、成人では66%が水です。老人でも65%ぐらい水、そして女性は男性より僅かですが水分が多いのです。体内の成分でも、筋組織で77%、骨でも5%は水です。
 
そして体の水分の10%を失うと生命が危うくなり、20%を失えば死をまぬがれません。
 
体の内部にある水分を体液といいますが、その約70%が細胞の中にある細胞内液で、残りの約30%の細胞外液のうち、約10%の体液は血管やリンパ管の中に、約20%の体液は細胞間液として組織の中に存在します。しかし絶えず外から補給され、また排泄されて、約二週間で体の全水分が入れ替るほどの激しい変転ぶりで、「方丈記」の"行く川の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず"の句が体にも当てはまるのです。
 
体に補給される水の量は個人や季節、環境によって大差がありますが、平均一日、2600ccです。
 
そのうち1500ccが飲み水としてです。食物に含まれる水分が800ccぐらいです。米飯では57.3%、鳥獣魚肉類は70~80%、野菜や果物は90~95%までが水です。
 
それから体内で栄養素が酸化されるときできるのが300ccほどになります。
 
つまり糖質1グラムから約0.6cc、蛋白質1グラムから約0.41cc、脂質は1グラムから約1.07ccと、もとの脂質よりも酸化によって発生する水分のほうが重いくらいです。ラクダが長途の砂漠旅行に耐えるのはコブの中の脂質が酸化し、熱量と同時に水分を得るからです。
 
一方体から排泄する水の量も補給とバランスがとれ、一日約2600ccです。
 
尿として腎臓から排泄されるのが約1500ccで、これは飲水量と匹敵します。便とともに約100cc、皮膚から汗として約200cc、また知らず知らずの間に不感蒸泄といって水蒸気として発散する分が約400cc、呼気を水蒸気で飽和して発散するのが約400ccというのが内わけです。
 
一日中に消化液として分泌される水分だけでも8200ccという大量、腎臓の糸球体から原尿として分泌される量にいたっては約150リットルにも達しますが、ほとんどは再吸収されますので、体の内外の出入りの帳尻にはでてきません。夏期のひどい暑さのころは発汗と不感蒸泄だけでも数リットルにもなることがありますが、その時は飲水量が増えて調節されます。"水もしたたるような美人、とか美男"の語源は「本朝俚諺」の"二条良基公小島のすさびにいろいろ具足ども水のたるやうなる胄のくはがた"からでているといわれ、洗いたてのような美しい姿を形容するのですが、体の構成成分の水、出入りする多量の水分を考えると、カラびたような老人さえも水もしたたると形容すべきでしょう。
 
生命現象そのものが要するに蛋白質のなかで酵素という名の触媒の作用によって激しい代謝が行われていることですが、この体内のすべての化学反応が水溶液の形で行われているのです。
 
また水は有効なイオン化溶媒で、体の中の電解質のバランスを保つことを助け、このバランスが保たれてこそ健康が保たれるのです。
 
飲食物のほとんどは水分で、それを消化する酵素も水溶液であり、一定の温度と電解質のバランスのもとで作用します。消化された栄養素は水溶液として消化管壁を通過し、体液中にはいって肝臓にはこばれ、酸化、還元されて代謝が営まれるのです。
 
また体液は循環することによって組織に必要な酸素、グリコーゲンなどの栄養素やホルモン、ビタミン、ミネラルを運搬し、組織から炭酸ガス、老廃物を排泄器官にはこぶ、上水道、下水道の役もします。
 
水辺の土地は寒暑の差が少なく、海洋性気候と呼ばれますが、これは水の比熱が大きいことと、溶解熱と、ことに気化熱が大きいことによります。人間の体もこれと同様の理由で恒温を維持することができるようになっています。
 
恒温を維持するためには発生した熱を体外に放散するのですが、その方法は物理学が教えるとおり、伝導、輻射、対流の三つあります。こうした基本的な放熱形式は、いずれも気温が体温より低く、しかもその温度差が著しいほど効果的です。
 
気温が上昇して体温(皮膚温は胸骨の辺でおよそ32度ぐらい)に近づき、あるいはときとして体温を超えますと、発汗作用によって、水の大きい気化の潜熱を利用して放熱します。そして熱力学の第二の原則といわれる"熱は高温部から低温部に向ってのみ移行する"というのを見事にくつがえして、体から、体温より温度の高い、外界へと熱を移行させる奇跡をすらやり遂げるのです。
 
汗は毛穴から出るのではありません、体表面に、日本人では平均230万ほどある汗腺から出るのです。汗には精神的発汗と温熱的発汗があります。前者は俗にいうヒヤ汗で、手のヒラ、足のウラ、腋の下、額からでるもので、"汗願の至りで"とか"わきの下からヒヤ汗が出た"とか"手に汗をにぎる"というものです。
 
額から出る汗についてはまだはっきりわかっていませんが、精神的発汗の意味がつよいようです。このような汗は忽然としておこりまた急にやみます。
 
またそのほかに味覚性発汗という、カレーなどを食べた時に口の周囲に出る汗もあるようです。
 
大切なのは温熱性発汗という体温放散の意味をもったもので、個人差はありますが、だいたい気温が30度に近づくと出はじめ、暑い時に激しい運動をしますと一日に10~15リットルも出ることがあります。
 
もともと温熱性発汗は蒸発してこそ体温放散の意味があるもので、暑さに強い人はむしろ不感蒸泄として、発汗してもすぐに気化してしまって汗として目に見えない放熱をするのです。"玉なる汗"、"流汗淋漓"などは勇ましいようですが、汗としては効率の悪いものなのです。
 
子供は汗も大人の1.5倍もかきます。つまり代謝が盛んなのと、体表面積が体重に比べて広いためです。従って水の要求量も大人より多いのです。
 
汗の組成は薄い尿とみて大過がありません。濃度は血液より薄く、このことは汗は血液から濾過してできるのでなく、血液を材料として汗腺から分泌されることを示します。
 
汗には0.3%の食塩が含まれていて、ほとんど無色に近いものですが、まれに色汗症というのがあります。楊貴妃はピンク色の汗をかき、それが馥郁として匂ったといわれます。私はいままでに赤、緑、青、黒、それに多数の黄色の汗をかく人をみました。原因にはいろいろのことが挙げられますが、腸管での異常発酵や、皮膚の雑菌の働きによることが多いようです。
 
そのほか体内の水の働きで重要なものに尿の生成、水の代謝の脳の中枢の働き、副腎皮質などのホルモンの作用などもありますが、専門的にわたるので省略します。
 
いずれにしても人間一人が一日、日常生活に直接体に出入する水の量は意外に大量で、一生の間には70~80トンにも達します。
 
従ってその水に溶融した物質によって、長年の間には計り知れない生理的、病態生理的な影響を受けます。現在は人間の住む土地、でいてはその地質を流れる水に含まれている微量な成分と、病気に関連した医学が長足の発展を見せています。人々の知っているもので有名な、兵庫県、宝塚でのフッ素による斑状歯、熊本県、水俣の有機水銀による水俣病、富山県、神通川上流、新潟県、阿賀野川流域のカドミウム中毒によるイタイイタイ病などがその例です。
 
 

 
古来人間は泉の湧くところを見つけて住居をつくり、部落をつくってきました。泉とは出水(いずみ)の意味、地殻から水が天然に湧き出すところで、地名や人名にも泉に関連したものが多くみられます。
 
日本では特に泉を神聖視し、ここに水神を祭ったり、村の氏神を祭る例は多く、霊泉、神泉の名を冠した信仰と深い関連をもつものが多くあります。
 
東京西新井に厄除大師という古寺がありますが、「江戸名所記」によりますと、弘法大師が地に向って加持したところ水が湧き出したので新井と名づけられたと書いてあり、どうやら日本の最も優秀な水道技師は弘法大師であったらしく、諸地方に杖で突いたら湧き出した泉などがあります。こうした高僧は経験的な地質学から、水脈のありそうな所を"弘法の知恵"で知っていて、予め調査し、奇端を現わす演出で、信仰を得ることに利用したのかも知れません。
 
水神は日本では厠神とともに最もポピュラーな神で、河をよごしたり、水を冒涜するとすぐに罰を与えます。現代人はほんとうにそうした罰を受けているのです。それが罪人ならぬ一般人が受けるのですから、水神もフェアーではありません。
 
外国でも泉を神聖視し、とくにローマのアルバ山麓にあるエゲリアの泉、ティボリの泉、ローマの市中にも有名なトレビーの泉など無数の伝説に富んだ泉があります。
 
先年わざわざ訪れたピレネー山間のカソリックの聖地のルールドの泉はカーブ川のほとりにあり19世紀半ばにベルナデットという乙女が洞窟の中で聖母マリアの出現を見たといい、そこを掘って湧き出したもので、世界各国から巡礼が奇跡を求めて集ってきます。
 
回教でも日常の信仰儀礼として水が重要視され、寺院は常に水辺に建てられ、ヒンズー教徒も同様です。
 
ギリシャ人も水によって美しさを増し、活力を高めると信じていたのは、アキレスの不死身の伝説、ヘクトルが傷を水浴によって癒したこと、泉の神ヘラクレスの神説やこれにちなんだ儀式によっても知ることができ、"水はすべての罪悪を洗いおとす"ということわざもありました。キリスト教の洗礼もこうした古来の異民族の風習を換骨奪胎したものと思われます。
 
世界のいずれの土地でも泉は集落成立の中心で、井戸端会議は人数の歴史とともに古いのです。とくに泉が村落の中心で、人々の心の故郷になっているのは、民謡「菩提樹」の冒頭の一節"泉に近く立てる菩提樹、われあまたたびうまし夢みつ"によって知られるドイツの田舎です。
 
ヨーロッパの古い街には必ずその中心に泉があり、その古都の発祥の場所はここだと誇示しているようです。
 
 

 
日本人ほど故郷の水に関心をもつものはなく、また日本の水ほど飲んでうまい水はないでしょう。それは日本は国土が狭く、しかも比較的山が高いので、泉が湧き、流れ、海にそそぐまでの距離が短い急流のために汚染される間がなかったためでもあったのですが、江戸ッ子の誇る多摩川や隅田川が、今はこれがかつて白魚がとれ、都鳥が浮かんでいたとは想像できない汚染ぶりで、"水清ければ魚住まず"などまったくの昔話、今は濁りすぎて魚は即死です。
 
この点なんといっても京都の水は素的です。山から湧き出した清水が、白河砂の層に濾過されて、少くとも上流はまだ清冽そのものです。吉井勇の"かにかくに祇園は恋し寝る時も枕の下に水の流るる"の実感が、ながく京に住み、京を愛するものにはいつまでも忘れ難いものです。
 
私はこの原稿をいま清滝でデツチあげていますが、与謝野晶子の"ほととぎす京へは三里、嵯峨へは一里水の清滝夜の明けやすき"を思いだしながら、せせらぎのひびきとセミの伴奏"生き残れ、一つばかりは秋の蝉"と、楽しみながら書いているのです。
 
水がよいとはどういうことを意味するのでしょうか。実際上は蒸溜水は純水に近いものと考えられており、しばらく降りつづいた後の雨水も、溶融ガスが多いほかは天然の蒸溜水の性質をもちますが、これはさっぱり飲用に適せず、実に味の悪いものです。こういう水は浸透圧が低いため消化器の粘膜を害して、下痢をおこします。
 
ヨーロッパの水は一般に硬水で、炭酸カルシウムやマグネシウムなどを含み、石鹸を使っても泡立ちません。飲むと下痢をしますし、お茶を入れても、茶の成分のタンニンや水のうま味の成分と化合してしまってサッパリだめです。
 
といってマグネシウムを微量に含んでいる水はおいしく、醗酵によいので醸造に適しています。日本の酒どころといわれる伏見や灘の水も、硬水というほどでない微量のマグネシウムを含み、酒造りと水割りに適しており、おまけに美人所というわけなのです。
 
そうした関係上、フランスあたりではビーシー、ペリエ、エビアン、ストラースプールなど名柄だけでも20種ほどを越す泉から湧く水をビン詰めにして売っていますが、ブドウ酒より高価なのです。
 
こうした鉱泉(ミネラルーウォーター)は日本にも平野水というのがあります。早合点の私はブレインを平野とは上手に訳したものだと思っていましたが、平野さんという人の苗字だと後で知りました。
 
鉱泉とは水に溶けている成分が1リットル中に1グラム以上の場合をいうのです。適当なミネラルを含んでいるため味がいいのです。信玄の隠し湯といわれた山梨県の下部温泉の湧水が約50年以上前からビン詰めにして売り出され、胃炎、胃潰瘍によいというCMつきです。
 
温泉とは湧水温度が25度以上の場合で、外国では入浴よりもむしろ飲用することに重点がおかれています。チェコスロバキアのカルルスバードは600余年前、カルル四世が狩にりきて、猟犬が落ちこんだところに湧き出るのを発見したもので、ピヨートル大帝、ベートーベン、モーツァルト、ゲーテなどが保養した家がそのまま残っています。水には炭酸や硫酸マグネシウムを含んでいるので、飲用することにより肝臓病(ベートーベンは肝硬変)や胃腸病、便秘、代謝病、リウマチへの効果が期待されています。この温泉には独特の湯呑みがあり、音楽にあわせて歩きながら飲むようになっています。古来不老長寿の効果がうたわれ、三週間滞在すると三年若返るとのキャッチフレーズつきですが、あまり長く滞在して赤ん坊になっても困まるので早々に退散しました。ゲーテはひどい便秘に悩んでここに来た時が83歳で、その時18歳の清純な乙女に熱烈な恋をしています。彼女と会った橋もあります。片恋に終って、相手に恋が通じませんでした。ゲーテは便秘だったのでツウジなかったのかも知れません。
 
温泉地などによくスパ(SPA)と書いてあり、温泉の別名のように思われていますが、実はベルギー東部のドイツとの国境近くにある温泉地スパの町からでた言葉で、この泉水はアルデンス丘陵地帯の地下から湧出した鉱泉で、ローマ時代から知られ"不妊を治す霊泉"と考えられ、今でもビン詰め鉱泉水、スパ・レーヌ(女王)が飛ぶように売れています。
 
そういえば入浴場(Bath)、入浴する(bath)のもとになったバスはウェールスの温泉地の町名で、ローマ人たちの温泉保養地だったのが、入浴場や入浴するという言源になったのです。
 
しかしなんといっても日本の水の味が最良なのは、軟水でしかも適当な塩分とガスを含み、温度が低いからで(10~15度の水の味が最高です)、昔から茶人が名水を求めて行脚したというのも、微量の塩分を含んだ軟水を探し求めたわけです。
 
宇治橋"三の間"の水、天王寺蓬坂の水、利休ゆかりの醒が井の水、裏千家家元の梅の井、大坂城の金明水など、また中国の名水として知られた慮山康王谷水簾の水、無錫県恵山寺の石泉、蘇州虎丘山の石水、陸羽の伝説で名高い南嶺の水なども要するに軟水であり、現在の科学によって硬水を煮沸したり、薬品を使ったり、パームチット(合成ゲル・ゼオライト)、イオン交換樹脂などで軟水に変えることもでき、海水を脱塩して清水をつくれるようにもなりましたが、天然の良水の微妙な成分をそのままつくりだすことは容易ではありません。
 
水の溶融物で茶を入れるときに困まるのは鉄分で、鉄とタンニンが化合してインクのような色になります。
 
水を使用するとき、こうした化学的溶有物のほかに問題になるものは病原微生物で、一般的の病原菌として腸チフス、パラチフス、赤痢、コレラ、ワイル病などの細菌、プール熱の病原体のアデノウイルス8型やポリオ、肝炎などのウイルス、赤痢アミーバ、肺ジストマ、肝ジストマ、日本住血吸虫、マンソン裂頭条虫、鉋虫、回虫などの原虫や寄生虫の卵、幼虫などを考慮しなければなりません。
 
普通は一般細菌数が水100cc中に一万以上の場合は飲用に適せず、五万以上なら絶対不可です。水泳もしてはいけません。
 
近年水源の汚染は甚だしく、東京や大阪の上水道探水部でもすごいもので、最も問題になる大腸菌群が多く、そのほか化学成分として、亜硝酸やアンモニアも多く含まれています。
 
"日本は幸福だ、水道の水が飲めるから"という常識もはたして今も通用するでしょうか。飲めるために処置したはずの水も果して実情はどうなのでしょうか。
 
 

 
現在、都市の水源になっているところは甚だしく汚染されています。上水道源そのものに多くの人間が住み、その下水が放流されているからです。これらを浄化、消毒するために薬品を用いることがさらにまた水質を悪くしてしまうのです。
 
人里離れた山奥の泉や、渓谷の清流だといっても、完全に安全だということはできません。今ではそういうところもどんどん人間がはいり込み汚染するからです。
 
井戸水も土地そのものが汚染されていますので生水は危険です。水質試験や細菌検査で合格した水でも、とうてい生で飲めないのが普通です。生水は夾雑物を含まないほか、無色、透明、無臭で、しかも飲んで美味な、活力を秘めたようなものでなければならないのです。
 
日本では水道の水は飲める、ということだったのですが、カルキ臭、クロール臭があり、何だか異様な味がし、変な色がついています。到底、飲んでおいしいものではありません。
 
といって煮沸した水では、いわば死んだ水で、水の自然の味、真正な味、本当の水の味とは縁遠いものになってしまいます。
 
こんなひどい水道水でも、欧米に比べてはまだ日本のはましなほうですが、急激に年とともに不味さを加えつつあるのです。
 
人間の体と水との関連は前述のように、空気に次いで緊密なもので、その体内への補給と、体外への排泄そのものが、生命にとって本源的なものといえるのです。
 
良い水を充分にとり、こんな言い方が許されるなら、体の組織のすみずみまで洗い清めることが、健康を保ち、長生きと若返り、活力を保つための根本的な条件だということができるのでしょう。
 
 

 
水に恵まれたわが国では、それほどありかたいとは感じられない人が多くいるかも知れませんが、いま日本を含む全世界では新鮮な真水が不足し、深刻な"水危機"と"飲料水の汚染"がひどく、水道局もお手上げの状態の水をのんでいるのが現状といえます。
 
水と空気は数分でもなくなれば生物は死滅してしまうほど最重要な生活絶対必需品ですが、先進国では、水道の供給が追いつかず、また発展途上国では、水の伝染病から毎日三万人以上が死亡していると報告されています。
 
最近世界の主要23都市(東京を除く)の水道の水質を調べた結果、その都市に訪れたばかりの外国人が水道水を生で飲んでも健康に支障のない都市は先進国を中心とする9都市だけだった。あとの14都市のうち7都市が「飲めない」、残りの7都市も「なるべく飲まない方がよい」という回答だったのです。
 
これら14都市のうち、主に途上国の水道は配管が老朽化し、ごみや雑菌、さびなどが混入、先進国では、取水源の大河から流れ込んだ石灰分の多い水道が多いのです。
 
飲むために不適当な水を、これらの都市の住民たちは、ほとんど沸騰させたり、浄化してから飲んでいるのです。
 
いま発展途上国、先進国を問わず、中流以上の家庭では、ミネラルーウォーターを愛飲し、製造会社は大繁盛なようです。
 
もともと水道が飲めるニューヨークなどでもフランス製のミネラルーウォーターがアメリカ人の間で静かなブームを呼んでいるのです。途上国で暮らす日本人駐在員の主婦の中には、ミネラルーウォーターで食器洗いや、炊飯をしている神経質な人もいるそうです。
 
水をきれいにする濾過の方法も千差万別で、コーヒーをこす紙を利用している所もあれば、リオデジャネイロのように素焼きのつぼやかめを使っている土地もあるようです。
 
まだ地球上には水があり余るほどあると錯覚している人々が多くいるのではないかと思いますが、水の中でも我々飲料水として大切な真水は世界の総水量のたった2.7%しかないのです。
 
少くとも、中国の揚子江の年間水量だけで、44億を超す世界の総人口を養うことも理論的には可能ですが、現実には、世界の真水は汚れているので、ほとんどそのまま飲料水として使えないのが現状です。
 
いくら技術が進歩しても世界の水不足は人口増(一年間で約八千万増加)から深刻化するばかりで、世界銀行の推定によると現在途上国を中心に10億人(国連児童救済基金推定では20億人)が水不足に苦しんでおり水飢饉の時代ともいわれているのです。
 
先進国の水の使用量も急増の一途をたどり、自動車一台の製造に約380立方メートル(東京の一般家庭の月間水道使用量の一九ヶ月分)もの水を浪費しているのが実情なのです。
 
世界の水不足と汚染は、エネルギー、食糧の不足に劣らない重大な様相を帯びて私たちの生活に問題を投げかけているのです。
 
 

 
日本では工場、ビル、団地の一部でこそ汚水を浄化し、再利用する地域も出てきましたが、一般家庭ではあらゆる用途の水を同じ水道管で供給し、むだが多いのが現状です。
 
昭和55年、一年間に15億7千6百18万2千トンの水が配水され、うち六割以上を家庭で使ったのです。
 
家庭用の水の内訳は飲食用は19%に過ぎず、洗たく用に30%、トイレ、ふろ用に33%、洗面用に9%の飲み水が消費されているのです。
 
この水も無限であるわけではないわけです。
 
東京都の場合、現在の一日当りの総需要量は600万トンを超しているのです。10年間で75万トン、つまり川崎、広島両市で一日に使われる水量とほぼ同じ量が増加したと都水道局は算定しているのです。
 
これからも都市化が進むにつれ予想される需要量の伸びを、どう確保し、汚れを防ぎ、安全な飲料水を家庭に供給するかが水道関係者の頭を悩ましていることです。
 
東京では昭和45年に多摩川の水が取水停止となり、また大阪でも関西の水ガメの琵琶湖も湖水の汚染で赤湖や有害プランクトンの発生があい次ぎこのままでは"死の湖"になる可能性が強いと環境庁も発表をしています。
 
では私たちが飲んでいる日本の水道の水はいったいどうなっているのでしょうか。
 
大阪府立大学の武者宗一郎名誉教授は、大阪市、堺市、奈良市内の家庭や大学構内の水道から採取した水を分析した結果、「わが国の水道水中に発ガン性の物質が入っている」ことを明らかにしたのです。つまり、発ガン性のあるクロロホルムと四塩化炭素が混じっていることが判明したのです。
 
そしてこれらの物質が肝臓、心臓、腎臓に害を与えるだけでなくガンをも誘発することはすでによく知られています。
 
新聞や雑誌でもすでに何回となく、水道水に発ガン物質のことや、肝臓を侵すトリハロメタンのことが八段ぶち抜きで紹介されています。
 
大阪府立公衆衛生研究所の実験では「自然水を飲料水に変える殺菌消毒の過程で塩素を加える段階に化学変化が起き有害物質が生じる」と発表しています。
 
大阪大学工学部の山田助手は「汚れた河川水を殺菌する塩素処理によって、微量だが、多種の発ガン物質が水道管内で生成されているのに行政当局は対策を講じていない」と明らかにしています。
 
その他水道の水の汚染の報告は全国の各新聞にも数をあげればきりがないほど発表されており、一刻も早く飲み水や、飲料水を取水している河川や湖の浄化が望まれるわけです。
 
しかしながら赤湖やアオコの発生はわれわれの生活排水から生まれるリンを含む、合成洗剤やその他の工場排水などが主な原因となっており文化生活からのお返しの形でこのような大きなおつりが今生活の中にしのび寄ってきているのです。
 
東京都でも首脳会議で新年度から都立病院や公立学校などの全施設からリン分を含む合成洗剤を追放するとともに民間の事業所に対しても、関係各局を通じ同洗剤の使用を減らし、石けんに切り替えるよう行政指導していく方針を固めたのです。
 
しかしながら1981年9月の毎日新聞の発表によれば「汚染の水がめは45ヶ所にものぼり、すでに日本の水道水の飲料水は末期症状の様相を呈してきた」とむすんでいます。
 
また各水道局も水道水に含まれる残留塩素やその他の公害物質が飲料水に含まれていることの検出により、もはやお手上げの状態なのです。
 
安心だと思っていた水には実はこんなに危険な物質が残留されそして体内に蓄積されてそれが発ガンの要因として隠されていたのです。
 
新聞や雑誌などの記事はまだ氷山の一角です。
 
海のむこうのアメリカでは、発ガン物質の発見やいろいろな水汚染問題に対し様々な論議がかわされ規制値が設けられるなど徐々に対策が講じられてきています。
 
私たちはこの現実を冷静に見つめ生命を守る大切な水に戻すために運動を起こさなければならないと思います。
 
それではこのような現状をどう変え一日も飲まずにおれない水を少しでも体の為に悪くない水に変えて飲めばよいのでしょうか?
 
ところで水汚染を訴える新聞や雑誌の報道を紹介しておきます。
 

  • 〔日本経済新聞〕S55年11月7日付=浄水器で発ガン物質除去、米環境局が有効性を証明(国際環境レポート)
  • 〔朝日新聞〕12月26日付=水道水、発ガン物質汚染を調査、米国で規制のTHM、厚生省
  • 〔女性セブン〕1月22日号=水道の水に"発ガン物質"の疑惑を徹底的に追う、「人類の8割が滅びる」という証言も~
  • 〔読売新聞〕2月2日付=荒川でシアン検出、一時取水停止
  • 〔朝日新聞〕2月17日付=合成洗剤、わかっているのですが-主婦70%が使用-吹田市アンケート、汚濁汚染90%知る。
  • 〔日本経済新聞〕3月7日付=0.1ppm以下に規制を、水道の「卜リハロメタン」発ガン性で環境審答申
  • 〔毎日新聞〕3月7日付=肝障害おこすトリハロメタン、各県に監視指示、厚生省暫定基準決める。
  • 〔いばらぎ新聞〕4月19日付=霞ヶ浦の水は~「まずい!」合成洗剤問題には高い関心、浄水器などで防衛
  • 〔毎日新聞〕5月7日付=水道水中に含む発ガン物質-トリハロメタンー「水質表の公開を」大阪の市民団体が申し入れ
  • 〔読売新聞〕5月13日付=発ガン物質・トリハロメタン、水道水を調査、近畿の学者グループ、除去データ作り
  • 〔読売新聞〕5月17日付=水道水臭いゾ老朽ビル、虫や雨水入り込む、清掃されぬタンク
  • 〔朝日新聞〕6月2日付=トリハロメタン除去・削減へ、行政側に働きかけよう、大阪の水を考えるシンポジウム、世論啓発へ論議
  • 〔毎日新聞〕6月19日付=来月「琵琶湖サミット」環境庁長官と四府県知事ら、湖沼の浄化推進へ
  • 〔京都新聞〕8月10日付=THM多い人工島周辺
  • 〔朝日新聞〕8月18日付=今年もカビ臭い水道
  • 〔毎日新聞〕9月7日付=臭い水お手上げ「トリハロメタンも増加-京都市認める」

 
 

 
すでに述べたように水道の水は飲料水として取水している湖や河川の極端な悪化により水道局も手のほどこしようのないほどの飲料水(水道水)の悪化なので取水の根本から清浄な水にして家庭に送りこむことは不可能に近いと思われるのです。厚生省やその他の機関の発表でも現在の飲料水よりもきれいな水が飲めるのは不可能に近いと言っているように取水の河川の浄化はむつかしいとすれば、各家庭で活性炭を使用して、直接蛇囗にとりつけるとか、活性炭入りのポットの中に水を入れて浄化するかの方法が手っとり早いのではないかと思います。
 
市販されている浄水器は水道の中に含まれている不純物を取り除いたり発ガン物質の除去をするとともに、水道の水の味をよくしたりする効果があります。
 
また生水は飲むなと昔からいわれているように煮沸することによって塩素臭さがなくなると同時に雑菌を死滅させる効果があるとおもいますし、発ガン性物質トリハロメタンも完全ではないがある程度蒸発するといわれているのです。しかし煮沸後はできるだけ早く飲むことが大切ではないかと思います。
 
それから会社に殺菌設備の整った工場があり、容器も規準にあい品質の規格に適しているミネラルウォーターの利用も水道水に比べると味の点ではすぐれていると思います。
 
ともかく水と空気は地球上の生物にとっては一番大切なものです。水や空気の汚れはひいては人類の破局に結びつくのです。
 
しかしながら今の汚れた飲料水を浄化し軟化させて純水な飲み水に変えてくれる方法があれば水道の水の害やガンの発生からも逃れることができるのではないでしょうか。
 
 

 
"人間が生きてゆくうえで一番大切なものは何ですか"とたずねられたとき多くの人々はお金とか、愛とか、又人間性とか、いろいろと考えると思いますが、所詮一番大事なものは空気と水なのです。
 
この地球上のすべての生命をもっているものは命の源を水に頼っています。
 
そしてわたしたちは何の気なしに飲んでいる水について真剣に考えてみたことがあるでしょうか。
 
安全だ、安心だと思っているほど、実は危険なことはないのです。本文の中で紹介した新聞の記事や報道はまさに真実なのです。
 
水の汚染は、すなわちわれわれ生命をもっている者にとっては死を意味します。最近のこの汚染のひどさに水道局も手がだせない現実なのです。永遠に続かせなければならないわれわれ人類の子孫のためにも今こそ水の大切さを訴えこの汚れた飲料水を浄化する運動に目覚めなければならないと思います。
 
そしてわれわれはこうした様々な恐るべき実態を冷静に受けとめて、"毒性のある水"から"生命の水"に戻すことができるのか、どういうふうに飲んだら人体に悪い影響を与えずにすむのかをみんなで急いで考えていってほしいための問題提起をしたつもりです。
 
どうかこの記事が一人一人の意識を変革してきれいな水に変えてゆく原動力となることを祈っています。
 

著者:1981年秋・木崎国嘉先生