2000年4月上旬、妻から、妻のお母さんが乳がんであることを突然知らされました。妻は少し動揺しているようでしたが、努めて冷静を装っていました。そのころ、ちょうどインターネットを始めたばかりの私は、手探りの状態で何か有益な情報はないものかと、探し始めました。数多くの癌関連情報の中から、一番信頼できそうな、また癌に効きそうな情報が掲載されているホームページを探しました。それがこの「難病末期癌からの生還」ホームページでした。
早々メールでコンタクトを取らせていただき、一般市販品ではなく米国UCLA研究のドクターが医療の現場で使用している医療機関向け免疫賦活物質A.M.Dを紹介して頂ました。精神的に厳しかった私どもを、暖かく励ましていただいたSarah様には、本当に感謝いたしております。その後、 医療機関向けBRMを飲みだした母は、余命3ヶ月と言われたにもかかわらず、順調に快復し、今では、乳がんこそ消滅していないものの、全身に転移していたがんは、レントゲンでは確認できないほどに、また乳がんの方も活動を停止しているという状態まで快復しております。まだ、定期的に病院にて抗がん治療を必要としますが、ここまで快復できたのも医療機関向けBRM、そしてSarah様のご支援のお陰だと思っています。以下に詳しい経過報告を紹介いたします。
4月26日
妻のお母さん 乳がん 肺転移 進行はかなり深刻
4月30日
インターネットにて「難病末期癌からの生還」ホームページを見つける。
ドクターが医療現場で実際に使用する免疫賦活物質A.M.Dについて質問する。
5月2日
Sarah氏紹介の入手先へ連絡、相談をする。
医療機関向け免疫賦活物質A.M.Dの詳しい資料等を送って頂く。
5月4日
お母さんにサンプルを飲んでもらう。飲みやすい様子。医療機関向け免疫賦活物質入手手配。
5月7日
医療機関向け免疫賦活物質服用方法の指導を受ける。免疫賦活物質一日6包 毎食後30分以内に2包服用
5月8日
体重41㎏ 便通 2日/1回 食欲 1日2合 薬 コーワ・ダンツジールAD330 ZENECA42120mg NR422200mg
両脇に1㎝未満のしこり、レントゲン撮影及び採血、白血球の数 心配するほど多くない(本人が聞いた話)
5月9日
医療機関向け免疫賦活物質を昼より服用始める。免疫賦活物質1日6包
5月11日
医療機関向け免疫賦活物質はオブラートに包んで食している。病院からもらった薬も飲むので、水の量が増えている。運動不足 食欲なし 毎食 軽く一膳
5月15日
体重41.5㎏ 便通 2日/1回 食欲 毎食 軽く1膳 体調 変わりなし 毎日免疫賦活物質6包
5月16日
入院。制がん剤とホルモン剤をもらう。再検査-数日かかる。
具体的な治療方法は、これからまずは帯状疱疹から治療する-2週間くらい 血圧 159-90 熱 36.9(平熱36.8) 免疫賦活物質6包
5月17日
医療機関向け免疫賦活物質の相談窓口へ連絡。
食欲がない上薬を飲む量が多いため少々苦しいと言ったが、今が大事なときなのでがんばって飲むようにとのアドバイス。
体力の維持 食欲のない時はある程度の運動を。次回 検査結果、今後の治療計画、本人の状態などの報告。
病院
午前中朝食抜きで採血や検査で歩き回り貧血を起こしたらしい。食欲はいくらか回復。持っていったブッセケーキ1つ食べる。
薬
AFE1㎎ アフェヌZTZX(ホルモン療法) ノルバデックスDITIX(ホルモン療法) フルツロン3Cap3X(抗がん剤治療)
右乳がんで肺転移。右乳房に潰瘍あり φ7㎝ 3㎝ 1.5㎝ 潰瘍は出血あり 植皮手術によりお風呂に入れる。
注射による抗がん剤治療は、帯状疱疹がひどくなるので見送り
5月18日
朝母より電話 朝食待ちどうしく完食(食パン2枚、ポテトサラダ、ゆで卵、牛乳、グレープフルーツ)食後便通あり
5月19日
便通 毎日1回に変わる。
5月20日
体温37度2分
5月21日
体温37度3分 体重41.8㎏
5月23日
病院食だけでは足りないと、売店に行く。体温37度1分。
5月24日
病院食だけでは足りないと、売店に行く。
5月26日
本日検査あり。結果報告後日。相変わらず食欲あり。便通毎日。
5月31日
相変わらず食欲あり。便通毎日。体温血圧正常。帯状疱疹ほぼ治癒。
6/6より抗がん治療(点滴)予定。
6月3日
医療機関向け免疫賦活物質相談窓口より
帯状疱疹と抗がん剤治療は薬によっては効きすぎて危険な場合もある。
抗がん治療初めても副作用は軽減される可能性が大きい。医療機関向け免疫賦活物質を服用しているため。
6月5日
明日より抗がん剤点滴開始~内蔵の負担を軽減するため1日。
トータル2リットルの水分を補給を始める。
6月6日
大小6本の点滴約2時間半投与。エンドキサン、メソトレキアーナ(アドリナマイシン)S-FU 吐き気など特になし。
夕食前いなり寿司食べる。
6月7日
点滴なし。採血のみ(点滴は尿量などで検討)
6月13日
検査結果 腫瘍箇所 乳がん 胸壁に達している 脇 首筋のリンパ 肺にも多数点在 肝臓 おそらく骨にも転移の可能性あり。
総評 全身転移 腫瘍マーカー かなりの高い数値との前置きで。。。CAE25.7 TPA210 CA15-3578 白血球数 5000から6000
6月16日
先生談 「今は手術しない方がいい」
6月17日
医療機関向け免疫賦活物質相談窓口より
次回検査結果がでるまで今までと同じように飲み続ける。
6月20日
2回目の抗がん治療。前回と同じ内容。エンドキサン、メソトレキアーナ(アドリナマイシン)S-FU 副作用なし
6月21日
採血 白血球の数の減少は見られない
6月23日
熱37度 便通 毎日1回 体重 45㎏
6月26日
CT検査予定。造影剤をうちながら胸部レントゲン CT検査実施
6月27日
採血 白血球数 3000 次回抗がん剤投与は様子を見てから
6月30日
先生からの検査結果報告
腫瘍マーカー(癌細胞の周りに取り囲むようにつくもの) CAE43(前回25.7) TAP77.5(前回210) CA15-3391(前回578)
腫瘍マーカーの数字の見方
癌細胞が壊されるとき周りに細かく飛び散ったりして一時的に数値が上がるとこともある。
数値が上下しながら下がっていけばいい兆候
先生の見解
癌細胞が動き出している。(カチカチの状態が柔らかくほぐされてきている感じ)首筋のしこりは見た目ではほとんど目立たなくなっている。
肺、リンパ、肝臓、それぞれの腫瘍が少し小さくなっている。
食欲があることなどの様子から見てもわかるように今は癌が悪さ(進行)していない。
7月4日
抗がん剤投与 副作用なし。エンドキサン、メソトレキアーナ(アドリナマイシン)S-FU
7月5日
採血 白血球数 4300
7月8日
医療機関向け免疫賦活物質相談窓口へ報告
病状の改善が見られ、経済的にも苦しいことから医療機関向け免疫賦活物質を今までの半分の1日3包にすることにした。
抗がん剤の種類は..エンドキサン、メソトレキアーナ(アドリナマイシン)S-FU
7月10日
採血 体重45㎏
7月11日
抗がん剤投与、エンドキサン、メソトレキアーナ(アドリナマイシン)S-FU
7月17日
採血 白血球数 3200
7月18日
抗がん剤投与。エンドキサン、メソトレキアーナ(アドリナマイシン)S-FU
7月21日
採血 白血球数 3100
7月22日
レントゲン撮影 いずれ皮膚表面手術したい意向
7月25日
採血 白血球数 2800
7月27日
ホルモン剤 ZENECAから40NK-7104に変わる(朝のみ服用) 体重46㎏
7月31日
採血時→白血球数3500
8月1日
抗がん剤投与(以前からのもの)
抗がん剤の種類は..エンドキサン、メソトレキアーナ(アドリナマイシン) S-FU
8月2日
担当医に電話経過報告
7月17日にCT検査時の腫瘍マーカーの数値は3つのうち2つが以前より少なくなっている。
CAE43(前回25.7)(今回??) TAP77.5(前回210)(今回??)CA15-3391(前回578)(今回??)
右脇リンパから胸壁部分の細胞が動いていない。動いてくれれば乳房表面の手術も可能
(現在の治療は通院でも可能なもの)。肺の腫瘍は小さくなっている。
乳首の腫瘍も小さくなっている。
さらに乳房(乳首の下方に2カ所あったもの1つは小さくなりもう1つは消滅している)
いずれ検査しなければはっきりわからないが肝臓にあるものは癌細胞ではなく膿疱(水の袋)かもしれない。
抗がん剤 回数多く投与するためには1回の使用量を少なくして(現在のペース)様子を見ていく。
量を増やし1ヶ月ごとにするとダメージが大きい(白血球数減少、体調回復に時間がかかってしまう)。
薬が効かなくなったり治療方針の変更があった場合は先生より連絡入れるとのこと。
8月14日
白血球数 3700
8月15日
抗がん剤投与
8月21日
白血球数 2700
8月22日
骨しん値検
先生より...腫瘍マーカーは一つの数値が1桁に(CAE)。当初から考えていた殖皮して通院可能の状態にするか足首あたりからチューブを通して直接患部に薬を入れる方法どちらをとるか思案中9月頭に決定。放射線医とも相談中。
8月23日
胸部CT体重47㎏
9月以降、先生との連絡が取りづらくなり(先生が忙しすぎて)詳しい経過はわからなくなりましたが、母の様子を見る限りとても順調に回復しているみたいで、退院時の体重をみてもわかるように、かなり太ったみたいで、太りすぎが気になるくらいでした。また、9月に予定されていたカテーテルを通しての治療、並びに殖皮手術は結局の所、行いませんでした。
7月8日より退院するまで毎日医療機関向け免疫賦活物質毎食後1包。1日に3包服用し、2001年1月31日退院。退院時の体重は55㎏。今回お世話になった先生は、医療機関向け免疫賦活物質A.M.Dをご存じでした。いろいろ聞く私たちに怪訝そうな顔をしながらも、でも、親切に、わかりやすく説明していただきまして、とても助かりました。近い将来、癌という病気は不治の病ではなくなるのかもしれませんが、現在の医療の状態ではまだ十分とは行きません。やはり、理解のある先生と、家族の協力、私たちの健康を保持する健康食品、この3本柱は欠かせません。この報告を読まれ、参考にしていただければ幸いです。なお報告の中には、薬の名前など不適切な表記があるかもしれませんが、その節はご了承下さいませ。
「医療機関向け免疫賦活物質A.M.D」の詳細については
以下ページに情報をまとめてあります。
ご参考になさって下さい。
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