末期癌と闘われる方々への
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難病末期癌からの生還~タイトル画像小

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手術療法の限界と問題点とは

末期癌克服への架け橋区切り線

 
癌の治療で最も一般的なのは、メスを使う方法です。腫瘍を取り除くため、手術は医学の歴史の中でも最も早い段階から用いられてきました。手術は現代にあっても最も有効な治療法の一つですが、はるか悠久の時を隔てた古代にも、癌の手術が行われたらしいことは、古代遺跡やさまざまな文献の中でも推察されます。それでも、古代史に属する世界において、癌の手術は一般に支持されないものでした。
 
医聖ヒポクラテスの「格言録」の第38章にはこう記してあります。
 
「癌に陥っている患者の場合は、いかなる治療も施さないほうが良い。手を加えれば患者はすぐに死んでしまうが、手を加えなければ長期にわたって持ちこたえるからである」
 
このころの癌は体の一部の病気としてではなく、むしろ全身疾患とみなされ、体内の自然なバランスがくずれた結果として起こるものと考えられていました。その原因が憂鬱な気分を起こさせるもとになる「黒胆汁」の出すぎ、と考えられていたことです。
 
紀元前1世紀ごろのローマ時代の著名な医学百科事典の編者、ケルルスは、「進行した癌は手を加えると余計に怒りだし、ますますタチが悪くなる。一部の人は焼灼剤や焼灼器具を使ったり、あるいは、解剖用メスで摘出したりしているが、どの治療であれ、苦しみの軽減にさえ役立ちはしない。焼灼された部分はただちに興奮し始め、死をもたらすまで活動をやめないのである」と警告しています。ケルルスは癌に立ち向かう際の大原則をこう記しています。
 
「癌腫瘍を摘出し、癒えているような場合でも、この疾患は再発し、その結果、死に至る。大部分の患者は腫瘍の摘出を試みるなど乱暴な手段がとられることはまずないが、腫瘍をなだめすかすように、ごく控えめな措置がとられる場合に限り、腫瘍を持ったままでも長寿を全うしうることになる」
 
こうしたヒポクラテスやケルルスの癌に対する考え方は以後、2000年以上にもわたって強固に守られていきました。
 
 

 
はっきりと癌の外科手術療法と呼べる医療行為が登場するのは、ようやく19世紀も終わりに近づいたころでした。
 
歴史上初めて胃癌の切除手術を行ったのは、フランスのジュール・ペアン(1830~1898年)という、当時の手術医の間で「神様」と呼ばれた人で、1879年4月にパリで執刀しました。記録によると、ペアン医師は「手術台に赴いた出で立ちは、リボンのついたモーニングコートを羽織り、白いチョッキに黒いズボン、ピカピカのエナメルの編み上げ靴」という形式ばったもののようでした。手術に要した時間は2時間30分。手術は成功したように思われましたが、手術後5日目に死亡してしまったということです。
 
その後も、数多くの外科医が部位的に手術しやすい胃癌を中心とした切除手術に挑戦しましたが、期待したほどの成果がないまま、患者が術後数日間のうちに死亡するというケースが大部分だったようです。そして、ようやく一応の成功をおさめた例とされているのは、ドイツの無名の医師のケースでした。しかし、これも退院後1ヶ月あまりで癌が再発し、1ヶ月で患者は他界しています。この医師はこのことを教訓に「手術は手術適応のある症例にだけ行うべきである」と感想を述べていますが、この考え方も現代に十分通用するものです。その後、さまざまな手術器具が発達して各国で手術例が報告されるようになり、医師たちの技術レベルもずいぶんと上がったようです。当時の医師たちを悩ませたのは、勿論、現代の医師たちも同じ思いでしょうが、癌の転移という問題でした。そこで、転移を防ぐという観点から、1940年ごろから、人間の体のリンパ節を取り除くということが随分と強調され、その考え方が近年まで引き継がれてきたのです。
 
しかし、最近になって、リンパ節切除については大きな疑問符がつくようになりました。それは、とりもなおさず、癌免疫学が進歩したからなのですが、リンパ節は癌免疫に重要な役割を果たしていることが次第に明らかになってきたからです。手術療法に関しては、元の体の機能を回復できるように、できるだけ小さく切除する方法が現代手術の大きなテーマになっているのはご承知のとおりです。確かに、転移や再発を恐れた医師は、いきおい患部の周辺をかなり広範囲に切除するといった、ある意味で無謀な手術が行われた時代もそう遠くない昔にはありました。そうした手術では、患者が受ける肉体的ダメージは想像以上に大きく、癌ではなく手術によって死んでしまうケースもありました。さらに、大きく切除するということは機能回復の面でもむずかしく、患者のその後の人生に大きなハンディを与えてしまったことも多かったのです。
 
例えば、頭部癌や頸部癌では患者の下顎骨を切除するという大がかりな「コマンド手術」と呼ばれる治療法も存在しましたし、膵臓癌の場合には「ウィプル手術」と呼ばれる根治手術が一般化した時代もありました。これは、癌細胞におかされたリンパ節に隣接する数多くの器官を切除する手術です。つまり、リンパ節に近い器官をそのまま放置すれば、癌細胞が広がってしまうかもしれないという推定にもとづいたものでした。しかしながら、そうした根治手術が行われたにもかかわらず、膵臓癌の5年生存率は相変わらず低いままでした。
 
手術が進歩するにつれて、切除の範囲をますます拡大しようとする傾向を助長しました。とにかく近くの臓器を全部摘出してしまえば、残っている癌細胞をことごとく壊滅できるかもしれないという絶望的な動機にもとづいて、手術は行われてきたのです。そうした考え方の行き着いた極端な例は「ヘミコーポレクトミー」(下半身の外科的切除)と呼ばれる手術です。進行してしまった膀胱がんや骨盤部の悪性腫瘍の治療に用いられ、骨盤の下のほとんどを切除し、いわば体の半分を切りとってしまう手術でした。外科医たちが創意工夫を重ねた結果の終着点がヘミコーポレクトミーでしたが、依然として、癌が手術によって征服されたわけではありません。手術が最も効果的であるのは、結果的に癌細胞が他の部分に転移していないうちに行われるか、新たな腫瘍が発生してしまわないうちに発見され、行われるという場合に限られます。
 
癌細胞が広がってしまった段階で行われる手術は、神経や器官の圧迫原因となる大きな腫瘍が取り除かれるために、一時的に症状の軽減がもたらされますが、その後の生存率で見ればさほど意味がないといえます。
 
 

 
古代の人たちが経験的に気づいていたように、手術という外科的処置自体が結果的に癌化を促進してしまうことはないのかということは、現代の外科医たちにとっても決して無視できない根本的な問題となっています。
 
なぜなら、癌の手術というのは、腫瘍の破壊は避けられないからです。腫瘍にメスを入れるという行為そのものによって、癌細胞が体全体に広がってしまうという危険性は常につきまといます。メスを入れるどころか、腫瘍を刺激するだけで、その器官全体に癌細胞を押し広げてしまうと危惧する専門家もいます。外科手術というのは、部位が原発部位に限られた固形腫瘍である限り、安全でシンプルな治療方法です。しかし、固形腫瘍の患者が医者のところに来たときにはもうすでに70%ほどが微少転移している場合が多いようです。外科医なら経験的に思い当たる節があると思いますが、癌の手術をした患者がその後、癌細胞が増殖して急に転移が始まり、数ヶ月後に亡くなってしまうという事態に遭遇しているはずです。
 
この現象にはさまざまな理由が考えられます。一つは、癌患者の多くは、手術中に癌細胞が血管の中に流れ込む危険性が高いということです。すなわち、癌を早期発見し、治癒しやすくするために駆使される手術が、癌細胞を解き放っていることもあるということです。また、手術の行われた患者のうちの25~60%は、よく見えない癌細胞の一部を取り残したままであるという点も数多くの研究で明らかになっています。もっとも、最近の外科手術はハイテク機器も多く使われるようになったため、手術部位を正確に割り出したり、生検(疑いのある生体組織を切りとって顕微鏡で調べる検査)をしながら癌細胞を除去していくという方法もとられています。
 
ストレスに関しては別ページでくわしく述べていますが、手術のストレスというものは想像以上に大きく、癌患者のコンサルタントのあるベテランは「非常に多くの患者は死ぬことと同様、あるいは死ぬこと以上に、癌の治療を恐れている」と言っています。中でも、手術は患者を最も不安にさせる治療法です。人間にストレスを与えると、癌に対する抵抗力の低下は2~3日続きます。
 
これからの手術のあり方は、手術によって患部を除去しておいて、別の療法(補完代替療法など)により、QOL(クオリティー・オブ・ライフ)を維持しながら治療していくことだと思います。
 

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